自然
自身の生い立ちと制作におけるカリグラフィーと現代美術を解釈し、そこからPainting作品に含まれる文脈を考察する。
北海道の自然とそこに向き合う祖父の姿を見ながら育つ。祖父は北海道大学名誉教授として砂防と植生について研究してきた。砂防とは、自然のエネルギーが災害として人間に影響をもたらす中で、最も脅威的である土砂と水の作用の研究である。人間による侵食や資源の利用によって荒れた土地に、森の復元を行うことが彼のライフワークであった。
間伐材で作ったフェンスで覆い強風から苗木を守り育てるハードルフェンスや、再生ダンボールで苗木の根を保護することで地面に直接植樹する方法よりも定着率を高めるリサイクルポットを設計し、厳しい自然に対応しながら森林を育ててゆく。積雪、強風、火山、蝦夷鹿などの自然と、人間による侵入。多様な要素を研究しながら自然の循環の永続を目指した。こうした祖父の活動が幼少期より身近にあり、自身も参加しながら自然のはたらきに触れてきた。
最近では環境への自身の取り組みとして、資生堂とともに、途上国で清潔な水の使用をサポートする国際NGOのWaterAidを支援するプロダクトを制作している。

カリグラフィー
カリグラフィーを始めるきっかけとなったのは書体デザインである。デジタル環境の発展で私達は様々な活字に囲まれているが、活字書体の背景には紀元前後から培われてきたカリグラフィーの伝統がある。2011年4月に北海道から上京して武蔵野美術大学に入学し、グラフィックデザインにおける書体に興味を持ち、ドイツ人カリグラファー・書体デザイナーであるヘルマン・ツァップの展示を見る。この展示は3月に予定されていたが震災で9月に延期になったために見ることができた。
美しいと称される書体の一つの定義は、書体セット全体の均一性。濃度・ウエイトのバランスが一定であり、その中で個々の文字がオリジナリティを持っていること。ツァップはこれを高い次元で作り上げている。彼の作品であるOptimaやPalatinoもMacに組み込まれている。この展示を主催していた三戸美奈子氏の元、カリグラフィーを始める。多様な書体がカリグラフィーの長い歴史の中でいかに形づくられたかを学ぶ。例えばゴシックは、12-15世紀頃、北ヨーロッパを中心に使われる。キリスト教の発展とともに修道士によって写本が制作された。13世紀頃には商業的な写本制作職人も登場し始め、価値の上昇がみられる。写本の需要増加から高騰した羊皮紙に、より多くの文字を書くために形状が圧縮されていった過程で生まれる。文字を組んだ画面全体が黒く見える特徴からブラックレターと呼ばれている。
ファウンデーショナルハンドという書体は、19世紀の終わりに近代カリグラフィーを復興させたエドワード・ジョンストンが生み出したもの。15世紀中頃のグーテンベルクによる活版印刷術の発明により写本文化は衰退していった。ウィリアム・モリスを中心としたアーツアンドクラフツ運動の影響を受けたジョンストンが、写本の研究をもってカリグラフィーを蘇らせた。この書体は、カリグラフィーの基礎を学ぶための最初の小文字として最も適していると言われている。小文字の「o」を基本として他の文字を派生させる。アルファベットが書体セットとして組成される原理を理解することができる。
カリグラフィーの習得には毎日の反復練習が必要不可欠である。過去の文献や写本から、その文字が書かれるペンの角度、文字のウエイトを計算しながら何度も繰り返し書き、身体に覚えさせる。複数のストロークで構成される文字は次のストロークがどこに引かれるかを計算し、複数の文字で構成される言葉は次の文字の形を計算する必要がある。この計算も繰り返しの練習によって無意識に行われるようになる。

宗教、禅
写本文化をはじめ、カリグラフィーの発展には宗教がかかせなかった。ギリシャ文字は西欧と東欧に伝わり、キリスト教の東西協会のためにローマ字とキリル文字となる。アラビア文字はイスラム教、インド系文字は仏教の影響で東南アジアに広まる。宗教を広げて伝えてゆくために共通の記号が生まれてきた。
海外のサッカーで試合開始前に選手が祈りを捧げている姿を昔から見てきた。彼らが信奉するもののために雑念を捨て、目の前の試合で能力をすべて発揮しようと行う儀式のようなものである。大学で美術を学びアーティストが何を考えながら制作するかを知るにつれて、自身にはどのような文化が関係しているかを探る。
一筆書きで、入り口が7時の位置から描く円相。日本の書画における有名なモチーフである。ただ、カリグラフィーのストロークは基本的に重力に倣って上から下に進めることが多い。ペンや筆、腕の構造によるためでもある。そのためアルファベット「o」は10時位置からの2つのストロークで構成されることになる。2つのサークルが重なるような形状は、永遠という時間や異なる文化が混ざり合う様をシンボライズする。
日本庭園が借景という手法を用いて、庭園の景色の一部として庭園外部の景色を使用したように、観者の経験や記憶の中にあるレターフォーム(字形)に接触してその体験の幅を広げる。螺旋状のストロークは、枯山水における水面の波やうねりをあらわした砂紋と同義である。そのストロークがずれると雲のようにもなり、画面を水面と空に自由に遷移させる。
カリグラフィーが繰り返しの実践を元として書体を習得してゆくことは、禅における行雲流水のようでもある。長い修練は、無意識のうちにストロークを生み出すことを目標としている。空行く雲や流れる水のように執着のない、乱れのない運動を表す。同時に雲や水は一定のかたちのもたないものであり、自然の移り変わりのその純粋性を想起させる。達磨の残した四聖句の内の不立文字や教外別伝のように、悟りが文字や言葉からは伝えることのできない感覚的なものであることは抽象表現に通じる。

抽象
歴史を元にしてカリグラフィーを会得しながら、解体と再構築をもって、伝達記号としての機能を取り除き構成する。身体を伝わって生み出された線の集合が文字として意味をもつ。現代社会における情報の氾濫により複雑さを増している中で、文字の解体と再構築を経ることでイメージへと文字を解放する。カリグラフィーが小さいコミュニティにある中で、いかに自身の活動を通して拡大させられるかの思考もこの手法へ至るきっかけである。
言葉や文章としての直接的なメッセージを避けることで、言語という枠を超えて多種多様な人々の中にある文化に触れることができる。日本やラテンはもちろん、アラビア、ヘブライ、チベットなど様々な言語のカリグラフィーからの影響があることで、観者の中の経験に接触しようとする。
また、メッセージが抽象的であることは自身のパーソナルな領域を守ることになる。コラボレーションやネット上の発信で、カリグラフィーを用いた他者とのコミュニケーションを図ろうとする。そこに一定の距離があることは、カリグラフィーの表現に自由を見出そうとする自己防衛でもある。他者との適度な距離が自由には必要である。
繰り返しの練習によって意識の中にストロークを植え付る。そこから画面と対峙する中で自身に浮かんでくるストロークを書いてゆく。様々な書体を学ぶ過程で、筆記行為自体に書体へ育まれた文化が取り込まれる。それらがオートマティックに画面に書かれ、ストロークは画面の全域に渡って拡散的に書かれる。隙間をなくすように埋め尽くすことで、意識の拡散を促し画面の中心をなくす。オール・オーバーを用いることで自身と他者との距離をコントロールする。
下地を薄く塗ることで、キャンバスのテクスチャーによる筆致の可視化を行う。ときにノイズを加え描画運動を可視化させ、時間を感じさせる。これは版画技法のように下のレイヤーのテクスチャーを写し出し、拓本のようにも見えるフロッタージュ的な表現でもあり、抽象表現の要素と関係している。
アラビアのカリグラフィーは、イスラム教における偶像崇拝が禁じられたことで発展してきた。他の宗教では絵画や彫刻へ向けられた文化発展の意気を、カリグラフィーに向けることでその視覚的な装飾性を増進させてきた。ユダヤ教でも、旧約聖書におけるモーセの十戒の中にあるように偶像崇拝を禁ずる。バーネット・ニューマンやマーク・ロスコもユダヤ人であり、アメリカの抽象表現との関係が見られる。

ストリート、コラボレーション
カリグラフィーを用いて作品を制作している方々には、ベースとしてグラフィティを経験していることが多い。自分はテーブルに収まるような伝統的なカリグラフィーから入ったため、そのスケールというのが自身のテーマの一つとしてあった。画面を構成してゆく中で、象徴的な「o」や螺旋状の連続ストロークなどの連続は、グラフィティの文脈における拡散・成長的な行為が意識されている。その即興的な反復のリズムは五線譜的な見た目と相まって音楽をも感じさせる。身体の中にある呼吸、心臓のリズムが筆から流れていくようである。
これまで行ってきたコラボレーションは、ストリートアーティストが電車に描いたグラフィティが街中をめぐるように、フィジカル・デジタルを問わずに世界を広げる感覚である。カリグラフィーがファッションを媒介して、自身のコントロールから外された状態で他者との関わりをもつ。商業空間において、カリグラフィーの小さいコミュニティを広げてゆこうとする公共性への関心である。
平面的である布が身体との関係によって立体化してゆくファッション領域とのコラボレーション。カリグラフィーが身体運動の痕跡であることと繋がりをもつ。N.Hoolywoodとのコラボレーションでは、パングラム(アルファベット26文字全てを使う言葉遊び)を用いることで、文字の伝達力を排除してレターフォームに意識を向けさせる。Sacaiとのコラボレーションは、枝を意味するCadelという装飾技法を用いてテキスタイルをつくりあげ、生命の循環を感じさせる。一つのテキスタイルに仕上げる過程において、パーツのように作品を仕上げてゆき、編集行為を経て完成されている。編集は一度客観的に作品を見つめる、パーソナルな領域から外れて自身を観察する行為である。
Body Letteringにおいても文字はあくまで抽象的に用いられている。A-Zや伝達能力を排除した文字列。意味性のない文字の連続は音楽的であり、根源的な感覚を揺さぶる。作者と相手との言葉を介さない肌への筆記という直接のコミュニケーションは、互いの領域を超えた、深層的なもの。マーカーによるインクを肌にのせる行為はプリミティブで、民族文化の象徴として育まれてきたタトゥーのようである。言葉を用いなくても所属するコミュニティを示すことができる。

時間、生命
大学の卒業制作から、カリグラフィーの筆致に生を宿すことを一つのテーマに制作してきた。実態の無い時間を画面に示すため、あえてノイズを出したストロークを用いた。Painting作品をみると、レターフォームの解体と再構築を経たストロークをもって、日本語の縦書きのように垂直方向に書かかれている。縦書きの場合右から左に列を成してゆくものだが、西洋由来のカリグラフィーの筆致を用いるために、主に左から右へ列を構成する。
カリグラフィーにおける拓本は、レターカッティング(石彫)の分野でよく用いられ、文字研究の一つの方法である。近代のアルファベット生成の元といえるローマンキャピタル(紀元前1世紀)という書体は、平筆でかかれたものがノミで石に彫られていたといわれる。石版に彫られることでローマに残ってきた石版を想起させるようなテクスチャーを、キャンバス・下地と筆の関係で再現されている。
カリグラフィーは主に金属ニブ(ペン先)によるペンで制作されるが、平筆を用いることで筆圧という三次元的な空間の中での奥行も広げる。また、スケールが大きくなることにより、身体運動の制御の幅も広がる。幅3mmの金属ニブより、幅50mmの平筆では腕の動きや揺れによる筆跡の揺らぎは増大する。
ストロークの濃淡は、時間の存在を示す。筆をのせて離れるまでの1ストローク毎、画面全体としての制作のプロセス。観者がその時作品を見ているという現在から、観者自信の中にある経験という蓄積された過去との距離は明確ではない。ただそこにある経験の空間は観者個人によって異なる時間である。時間という絶対的なものは、個人の知覚によって多様に変動する。時間知覚の捉え方はその時々の精神状態とつながっていて、自身と外との関係に作用される。
黒いストロークの中に星のような斑点が、キャンバスのテクスチャーによって浮かび上がる。生命の存在を象徴し、生成から、膨張と収縮、消滅を繰り返す宇宙も描き出す。ストロークの始筆部には生成のエネルギーがあり、終筆部の軌跡は流星痕のようにエネルギーの消滅を思わせる。螺旋状のモチーフやストロークの増殖と反復は、肉体と骨格、植物の成長、水の流れを想起させる。生態系の中で相互に影響し合い循環されている。自身もそのシステムの一部であり、自然への関心が画面に表れている。

2021年7月5日